最近読んだ本「土地の文明」竹村公太郎

 土木の世界と日本の歴史風土を織りまぜた楽しく興味深い読み物。

 土木技術者の若年層はもとより、一般の人も楽しめるはず

 著者は、元国土交通技官であることも注目クール

【内容情報】

東京、大阪、京都…。11の土地の真実。土地の下部構造に着目し、その壮大な謎を解き明かす。

【目次】 青文字がコメントと要旨

1 東京 徳川幕府百年の復讐(検証・皇居の正門は半蔵門

 天皇皇后両陛下がいつもお通りになる「半蔵門」。忍者の名前のついた半蔵門は裏門ではない。江戸時代の地図は甲州街道から江戸城を見て「御城」と描いた。その甲州街道と江戸城を結ぶ門が半蔵門であり正門なのだ。大手門は徳川からみれば家臣の通り道。皇太子ですら公式行事以外半蔵門をお通りになれない。

2 東京 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか

 例の刃傷があった後、吉良上野介邸の移転があった。この移転は幕府の命令であったが、これは江戸から放逐し、討ち入りの舞台を「本所」に整えたことが大きい。幕府の命令は、「高家」である吉良家のを取りつぶすために意図的であったのか…3に続く

3 東京 三河・矢作川の水争い

 愛媛県矢作川の干拓地をめぐる争いが徳川と吉良との間であった。

4 北海道 二千年遅れた「弥生時代」 の到来―自由の大地が日本を救う

 石狩川の歴史は、蛇行を直線化しショートカットする工事だ。それを「捷水路工事」(しょうすいろ)という。全長360kmの石狩川は268kmまで短縮。なぜここまで当時の土木技術者は蛇行を嫌ったのか?洪水の流下能力を上げるためだけではなく、流速を速めてその力で川底を洗掘させる。そして石狩平野の地下水位を下げ開拓者が入植する。

川の博物館にいくと詳しい石狩川の歴史がわかるらしい。近いうちに必ず訪れようと思う!

www.river-museum.jp
北海道石狩市新港南1丁目28-24 0133-64-2507

5 鎌倉 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか―権力が権威と分かれた時

 その一つの理由は不衛生な京都を嫌ったから。当時の平安京は20万人の人口であり、人口密度は4900人/km2であったと想定されるが、これは現在の東京都の5500人/km2に比べてもインフラしっかりしていない時代にしては異常に高い人口密度だ。また、燃料や住居で年間200万本の立木が必要であったから平安京の周囲の山々は丸坊主であったろう….

6 新潟 田植えは胸まで浸かるもの―幻の映像を求めて

 1922年大河津分水路が国の直轄事業で完成。 関谷分水路は昭和47年に竣工。新潟平野の歴史は、行き場のない泥水との戦いだったらしい。ここの湿地はつい最近まで胸まで泥に浸かって田植えをしていたとは本当だろうか?ここ5年間で2度ほど新潟に仕事で訪れたが(そのうち一回は2007年の中越地震の復旧のため派遣された)大きな都市で、かつて湿地帯とはとうてい思えない…

 20091220_土地の文明_P112
20091220_土地の文明_P112

7 京都・滋賀 都市繁栄の絶対条件―人々が行き交うために

 全国の地方都市の人口が低迷する中で、もっとも高い人口増加率を示しているのが滋賀県。また、県民一人あたりの製造業粗付価値値額がもっとも高い(=文化度の高さ)

 今なぜ滋賀県が元気なのか?近代文明の高速道路という交流軸上に滋賀県がしっかり乗っているから…

 ▼交流軸(高速道路網)は栄える。

20091220_土地の文明_P133
20091220_土地の文明_P133

8 奈良 千年の眠り―証明・交流軸と都市の盛衰

 ホテル・旅館客室数が全国最低の都市「奈良」

インフラ整備が立ち後れ、交流軸(構想道路網)から外れた都市がかつて首都であったとは信じがたい しょんぼり

9 大阪 「五・十日」渋滞の謎を解く―商売の原点大 阪

大阪の平日の交通渋滞時間は325時間に対して、「五・十日」は、20~40%増しの380~470時間であり東京と比較してもひどい有様だ。単に「決済日」だからではなく、大阪人にとって「五・十日」は、人と人が会うことによる「信用を交換する決済日」であるらしい…

 大阪商人は、直接出かけていって請求しないと、銀行振込してくれないそうだ!道民には信じられないことだ

10 大阪 皮膚感覚の街―都市の原点大阪

とにかく「濃い」街、大阪。「空間の濃さ」と「歴史の濃さ」が大阪らしい。

驚くべきは、地積確定率の低さだ。たった1%びっくり

20091220_土地の文明_P179
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11 神戸 都市の再開発が人々を救う―阪神淡路大震災の忘れ得ぬ遺産

地積の混乱と区画整理事業の大変さ、それは「権利調整」

広い街路は人命を守る。

12 広島 最後の狩猟民族―日本人のアイデンティティ はこうして形成された

13 福岡 漂流する人々の終の列島―異常な巨大都市の誕生

 福岡市を流れている那珂川は34kmと短く、流域面積も120km2と小さい。このような大都市が大河川がないのに膨れあがったのは全国に見あたらない…

14 特別編・遷都 首都移転が避けられない時―やらざるを得なかった二つの遷都

15 特別編・ソウル 目撃、文明の変換―清渓川の復元

【著者】 竹村公太郎(タケムラコウタロウ)

1945 年生まれ。1970年東北大学工学部土木工学科修士課程修了。同年建設省入省。1999年河川局長。2002年国土交通省退官。現在、リバーフロント整備 センター理事長。社会資本整備の論客として活躍する一方、2003年、『日本文明の謎を解く』(清流出版)を上梓。下部構造の視点から日本と世界の文明を 論じ、注目を集める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

56964318土地の文明


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この記事を書いた人

 2010年3月まで、北海道の「オホーツク地方」に勤務。2010年4月「日高優駿浪漫街道」沿線に転勤異動。2013年4月千歳市に転居。水のあわない仕事を渋々している。早く株で儲けて株式の配当金と家賃収入で所得を得、仕事を辞め”不労者”になるのが夢。こよなく苫小牧を愛し住宅ローンを返済中(T_T)  最近、花粉症になったみたい。  えらく気に入っている言葉は"刻舟求剣"である。  M3を買うのが夢のまた夢!!

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