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  • 2015年5月16日
  • 2022年10月5日

郷土史 空撮写真で見る厚賀の変遷_低学年用

782-006 郷土史 空撮写真で見る厚賀の変遷_低学年用 URADO>Heimatkunde>20150516公開 空から見る厚賀の移り変わり ~空撮写真で見る郷土の変遷_低学年用~ 作成:どんぐりかいぎ実行委員会 PowerPoint PAGE-01 凡例 ★:クリックしてアニメーションを進める。 ◆:クリックして頁を進める。 どんぐりかいぎ実行委員会の本田といいます。 いつもは、日高自動車道で土木の工事をしています。今日は、私が土木の仕事で使っている、 写真やソフトで みなさんの町「あつが」を 空から見て、 昔の日高門別がどんなだったか、 そして、時間とともにどのように発展して 現在の形になったか 見ていって、これからみんながつくる 地図つくりをお手伝いしたいと思います。最初に、日高自動車道を作るときに使っている。航空写真というものを見ましょう。 (地図開く:長いのでメンバーと先生に手伝ってもらう) これは、飛行機から撮った写真で「航空写真」というものです。日高門別から厚賀まで約11kmの道路の予定が入ってます。普通の地図とは違いますけど、牧場がどこにあるとか、どこに林があるとか […]

  • 2015年5月8日
  • 2022年10月6日

郷土史「厚賀町史」第五章 兵事

783-001-05 第五章 兵事  明治六年に徴兵令を公布して師団編成をとり、北海道にも北辺の守りを固めるべく内地より屯田兵を送り、兵農一如の開拓を兼ねしめたが、未開地の当道は言語に絶する艱難辛苦、困苦欠乏に耐え忍んできた。 明治三一年に北海道でも日高国外七ケ国に徴兵令が適用され出した。 然し戸籍は内地にあり、青年の多くは合格壮丁は夫々の故郷の師団に入営した。日清戦争後二九年に屯田兵制を廃し、旭川に第七師団を設置した。十年後日露戦争は我国未曽有の国難であった。当町に於て平石嘉蔵が第三軍に従軍したのが初めてである。爾来日本の軍国強兵政策は増大する許り、大正十年のシベリア出兵には、谷崎亀一、播摩儀一が参加して居た。昭和に入り遂に軍部は満洲へ出兵即ち満洲事変が勃発し、当町からは宮原金松、里深由平、高橋末吉が北満へ動員が下った。果ては日支事変、昭和十二年七月七日蘆溝橋の一発の銃声が全支那に広がり、とうとう大東亜戦争十六年十二月八日米英両国と交戦に入ったのである。その都度我が父、我が息子が厳寒の北辺に、炎熱の南方に夫々勇猛果敢に斗ったが、二十年八月十五日遂に敗戦。終ったのである。然しこの間皇国 […]