郷土史「厚賀町史」 第一章 年表

783-001-01

第一章 年表

年号西暦門別町のできごと厚賀町のできごと
明治 三年1871仙台藩家臣、九十名、佐瑠太に移住する
〃  四年1872彦根藩家臣、一二〇戸、二三四名、本町等に移住
〃 一〇年1878門別に寺小屋式教育開かれる
〃 一二年1880佐瑠太に教育所開設される
〃 一四年1882戸口調査、三六二戸、一五四九人
〃 二〇年1887佐瑠太に警察分署設置される。
飯田信三、帆舟をもって函館-門別間の物資輸送にあたる。
中村与吉が浜賀張(松兼寺川向い)に定着する
山本森太郎が豊田に入地する(本町の開祖者)
〃 二二年1889佐瑠太戸長役場、警察分署を門別に移す
〃 二三年1890柴田安太郎が戸長となる
〃 二四年1891福島耕叟戸長となる
〃 二五年1892山本勝三郎が豊田に入地する
〃 二六年1893苫小牧-佐瑠太間に国道開かれる
岩根静一が門別郵便局を開設する
〃 二七年1894瀬島新平が戸長となる                      川島徳一、山本理平、林条一、藤野小吉、豊田に入地する
〃 二八年1895佐瑠太-高江間に国道開さくされる
佐瑠太橋架橋される                       
古川弥平、浅山直が豊田に入地する
明治三〇年1897門別小学校厚賀分校設置される
〃 三一年1898大水害、死者二十九名、耕地二五〇〇町歩、佐瑠太小学校流失する
沙流産牛馬組合設立される
小田平左エ門、林一広、田端徳エ門、森永秀蔵、安達若次郎、森永新左エ門、厚賀に入地する。
「ガン丸」函館より荷物初入荷、池田直次郎移住
大水害、厚賀川氾濫する
〃 三三年1900庫富、豊郷、清畠に小学校開校する
門別町消防組を組織する
厚別尋常小学校となる
〃 三四年1901赤無簡易教育所設置される厚別郵便局開設される(三等郵便局)
厚別神社創建される
水田耕作始まる
〃 三五年1902西田右一郎、戸長となる
村農会設立される
厚賀一致会設立される(旧民力涵養実行組合)
厚別川に初めて橋が架けられる
〃 三六年1903沙流購買販売組合設立される
門別小学校に高等科併置される
星野権蔵、川崎船をもって函館-厚賀間に物資輸送に従事する
〃 三七年1904賀張小学校開校する中村乙松、雑貨店開業する
〃 三八年1905長谷川葆光、戸長となる
門別酒造組合設置される
〃 三九年1906小荒井澄、戸長となる
〃 四十年1907                                  天理教、北厚宣教所設置される
池田直次郎、雑貨店開業する
厚賀に駐在所設置される
〃 四一年1908門別-広富間に国道開さくされる
〃 四二年1909ニ級町村制施行され、初代村長に小荒井澄がなる
戸口調査記録、八〇三戸、四〇六三人                
厚賀に門別消防組第四部設置する(片手押ポンプ一台)
第一回村会に、山本森太郎当選する
明治四三年1910町内各河川に灌漑溝堀さくされ経済調査実施される
森林軌道、佐瑠太まで延長される                  
郵便電信業務開始される
有馬猛吉が医院を開く(苫小牧病院より)
大正 元年1912沙流漁業組合設立される
門別に電話開通する
戸口調査記録、一〇八七戸、五六六二人
〃  二年1913佐瑠太駅開設される
竹内栄美、二代村長となる
長田俊一、造材初める
〃  三年1914慶賀小学校開校する矢島清吉造材事業初める
〃  四年1915石黒茂治、三代村長となる
広富小学校開校する
弘専寺説教所創立する
〃  五年1916戸口調査記録、一四一六戸、六五一三人郵便保険業務開始する
〃  六年1917連合青年団結成される宮坂進太郎、村議会議員になる
〃  七年1918鈴木廉三郎、四代村長となる
納税組合結成される
〃  八年1919松本栄次郎、五代村長となる
農業実行組合、道路保護組合、衛生組合結成される
富川、本町、厚賀に電気点灯する
正和小学校開校する
賀張仲買組合設立される
厚賀に電気点灯される(沙流電気株式会社)
池田直次郎、今三次郎、二名村会議員となる
〃  九年1920佐瑠太-浦河間に定期自動車運行する山内多市、ハイヤー一台購入、東西に走る
〃 一〇年1921戸口調査記録、一七二五戸、八六三六人
水田、七六五町、畑、四四八三町
自転車初めて池田直次郎購入する
賀張釣業組合設立する
〃 一一年1922清畠小学校開校する谷崎亀松、獣医師開業する
〃 一二年1923                                  厚賀消防組設立。初代組頭は遠藤善蔵(小型手押腕用ポンプ一台設置)
大正一三年1924白鳥論次郎、六代村長となる
佐瑠太-厚賀間に拓殖鉄道開通し、門別、波恵、慶能舞厚別駅が開設される
門別村教育委員会設置される
厚賀まで鉄道開通する
〃 一四年1925高木勉、七代村長となる              厚賀に電話開通する
昭和 元年1926戸口調査記録、一八〇三戸、八七六二人
〃  二年1927前川外吉、消防自動車寄附する門別消防組、第三分団となる
〃  四年1929一級町村施行され、初代(八代)村長は前川外吉賀張漁業組合設立される。組合長は山本滝平
消防第三分団、初代団長、中川為次郎、森田式手押腕用ポンプー台設置(村民の寄附による)
〃  五年1930戸口調査記録、二一七二戸、一一〇九八人厚賀に変電所設置される
厚賀に上水道施設される
郵便局舎新築される
〃  六年1931菊地貞、九代村長となるオートバィ初めて入る。小野貞樹医師購入
オート三輪車初めて入る。安田敬吉購入
厚岸へ流網十二隻初めて出航する
〃  七年1932農業経済更生五ケ年計画樹立される市内電話開始され十二戸加入する
〃  九年1934門別台地に由仁団体酪農建設のため一七戸入植する
富川に林産物検査所設置される
賀張泉ケ丘養鱒場完成する
〃 一〇年1935戸口調査記録、二一五四戸、一一二一五人一〇、二六厚賀に大津波あり、踏切以東賀張全滅
〃 一一年1936字名、地番の改正実施される
役場庁舎新築される
一〇、 五厚賀鉄道橋上にて七名轢死事故あり
トラック四台木材運搬のため初めて入る
〃 一三年 1937馬政計画発表され乗馬、輓馬の有能生産地に指定される  
昭和一四年1939門別町警防団第三分団となる。中村精二団長となる
〃 一五年1940町内会、部落会、隣組制度組織される
戸口調査記録、二一九六戸、一一五三〇人
〃 一六年1941各小学校、国民学校と改称される特定郵便局になる
厚賀に林産物検査所設置される
消防自動車(前川号)初めて当町に入る(借用車)
〃 一七年1942福満ウヨッぺ沢でシシャモ、キウリのふ化が行なわれる
門別町森林組合設置される
帝室林野局札幌支局厚賀出張所となり御料牧場より分離される
五、一 東川に帝室林野局元神部苗畑が新設される
〃 一八年1943一、二級町村制廃止、普通町村制施行される
村長に菊地貞引継ぎ就任する
軍用材、二万二千石搬出される
〃 一九年1944門別農業会設立される
〃 二〇年1945米機の空襲を受け、当町沿岸住宅戦災をうける
松本末吉、一〇代村長となる 
戸口調査記録、二三九八戸、一二七一二人
東京都緊急疎開者集団帰農者として福満に一九戸入植
四、一九厚賀沖にて大成丸輸送船撃沈される
役場出張場所新設置される。現在津田氏宅跡
七、一五グラマン四機空襲をうける
〃 二一年1946門別消防団を組織し、常備部を設け、分団制となる
 
門別消防団厚賀第三分団となる
五月満洲開拓団引揚者が太陽に入殖する
〃 二二年1947第一回公選村長に松本末吉当選する
鳩内小学校開校する
帝室林野局は農林署に移管となり、札幌営林局厚賀営林署発足する
厚賀漁港測量される六、三制の新設教育制度実施
五月一日門別村立厚賀中学校開校
厚賀小学校開校五十周年記念式典挙行
〃 二三年1948緑丘、幾千世小学校開校する
引揚者住宅建設される
門別、富川、厚賀農業協同組合設立される
富川に役場支所設置される
厚賀役場出張所を支所として現在地に建設される
厚賀漁港着工する
昭和二四年1949門別に「わかば保育所」開設される
本町に林産物検査所設置される
静内農高校富川分校開校する
里平小学校開校する
中学校第二期工事完成。六学級編制となる
厚賀漁業協同組合独立する
四月三日中学校第一期工事完成する
厚賀農業協同組合設立する
〃 二五年1950富川に「ふたば保育所」開設される
戸口調査記録、二八七一戸、一五六一〇人
村税条例制定される
富川に定時制高校開校する
〃 二六年1951農業委員会発足するる豊田(タービン式)消防車入る(半分村民寄附)
北海道富川高等学校厚賀分校設立認可され
〃 二七年1952町制が施行される
門別町開基八〇周年記念式典が挙行される
門別町土地改良区設定される
教育委員会発足する
富川高等学校通常課程となる。
室蘭土木現業所門別出張所開設される
十勝沖地震により被害多し
小学校現校舎新築落成する
〃 二八年1953町立国保病院開設される                     
富川高等学校々舎第一期工事完成する
公営住宅一五戸初めて建設される
苫小牧信用金庫厚賀支店開店される
厚賀営林署の貯木場が駅裏に新設される
〃 二九年1954富川高等学校々舎第二期工事完成する              町立国保病院厚賀診療所開設される(現在地)
すずらん保育所開設される(旧中学校々地内)
〃 三〇年1955富川高等学校道立移管となる北海道厚賀高等学校として独立する
〃 三一年1956婦人団体連絡協議会結成される
ゲルバー式永久橋沙流川橋完成する
〃 三二年1957                                  中学校十周年記念式典挙行する
小学校六十周年記念式典挙行する
昭和三三年1958現町長、市橋一郎当選する
前川外吉胸像役場前庭に建立する
道南バス太陽まで入る
〃 三四年1959門別町新生活運動委員会結成される一致会、北海道生活文化賞受賞する
〃 三五年1960門別町商工会設立される
〃 三六年1961富川公会堂完成する
山門別本道開通する
厚賀高等学校創立十周年並に新校舎落成記念式典挙行される
厚賀消防会館新築される
厚賀八幡神社すずらん公園地内に移転する
〃 三七年1962漁業協同組合の統合なる厚賀町民会館完成する
塵芥焼却炉完成する
〃 三八年1963門別町中央公民館完成する
門別町開拓パイロット事業始まる
浜賀張より現在の国道完遂する
日産六八〇型消防車一台(町より)入る
〃 三九年1964永久橋、厚賀完成する
〃 四〇年1965上永道揚水場完成する厚賀高等学校屋体完成する
〃 四一年1966町内の国道全線舗装完成する
町立国保病院の改築なる
〃 四二年1967統合門別中学校々舎完成する
産米一〇万俵突破する
小学校七〇周年記念式典挙行する
〃 四三年1968門別町章制定する
三農協、農業共済、農業委員会創立二〇周年記念式典挙行する
棚川忠雄名誉町民となる
門別富川電報電話局落成する
農免道路(清畠-賀張間)完遂する
地籍調査事業始まる
統合のため厚賀中学校廃校となる
九、三〇旧厚賀中学校及び旧賀張中学校を統合。厚賀中学校を新設する
一一、一 統合中学校々舎第一期工事開始する
豊田ジープ消防車一台入る
自動電話となる
〃 四四年 1969富浜漁港着工する  町立国保病院厚賀診療所の改築なる
昭和四四年1969公営住宅、三一戸完成する
青少年会館落成する  
中学校統合校舎第二期工事開始
〃 四五年1970門別灯台完成する
公営住宅五四戸完成する
統合厚賀中学校々舎完成する 九、二六 落成記念式典挙行する
〃 四六年1971養護老人ホーム「日高長生園」完成開園
農免道路(豊郷-清畠間)完工する
町営富川球場完成する
日高乳業K.K日高工場完成操業する
富川小学校第一期工事完成する
公営住宅五二戸完成する
門別地区灌漑排水、庫富ダム完成する
厚賀高等学校創立二十周年記念式典を挙行する
郵便局舎国道筋に新築される
〃 四七年1972門別町百年、町民憲章の制定、町民の歌選定される
緑丘、新生活実践会全国住民活動賞、北海道社会貢献賞を受賞する
〃 四八年1973富川小学校完成する厚賀営林署新庁舎完成する
日高西部消防組合厚賀分遺所となる
〃 四九年1974賀張金昆羅神社が築港横に移転なる
〃 五十年1975                                  厚賀町の歩み発刊する

この記事を書いた人

2010年3月まで、北海道の「オホーツク地方」に勤務。2010年4月「日高優駿浪漫街道」沿線に転勤異動。2013年4月千歳市に転居。水のあわない仕事を渋々している。早く株で儲けて株式の配当金と家賃収入で所得を得、仕事を辞め”不労者”になるのが夢。こよなく苫小牧を愛し住宅ローンを返済中(T_T)  最近、花粉症になったみたい。
えらく気に入っている言葉は"刻舟求剣"である。(意味は知らない)
M3を買うのが夢のまた夢!!だったが、2023年に住宅ローンを一括繰り上げで完済したことから、MモデルのM2を手に入れたので夢はかなった。めでたし、めでたし。あとは退職するだけ(^o^)

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